「シトア、死す」
シトアが取り出したのは、全長40cm程の人形。
ヒラヒラしたドレスのような蒼い布を纏い、その瞳は紅。
髪はシトアと同じく白髪だが、肩から腰にかかる部分までが紅く染まっている。
「何じゃその人形――」
「パグ。囲まれてる。距離2500、数250」
「所属は分るか?」
パグは一瞬身を硬くしたが、直ぐに冷静に状況を分析する。
「王族直属の精鋭部隊のようだね。ついでに、ネイも来てる」
「おいおい、ストーカーかよアイツは」
馬を止めながらパグは呟く。
彼が呆れるのも無理は無い。彼がネイという人物に襲われるのはこれで三度目だからだ。
「とりあえず、テスリカと協力して陣張ったから、暫くは防げる。姫も戻ってきてるみたい」
グローブを手にはめながら、シトアは何かを唱えながら魔方陣を描き出す。
手が流れるたびに、指先から赤い光が踊り、空、地と縦横無尽に陣を描き出していく。
円を基盤とした魔法陣ではなく、正方形を基盤とした、彼女独特の魔法陣だ。
それらは重なり、離反しながら特殊な陣を描き出していく。
空中で踊り狂う魔方陣は、パグさえも知らない術だ。
「空間値固定、座標軸、修正、空時軸値安定。パグ……。強制転移するよ」
その言葉に、パグは息を呑む。
未だかつて誰も成功した事の無い転移陣。
それは、移動用魔法とは一線を画す物。広範囲に渡り、特定の物だけを、空間を越えて移動させる魔法。
だが、空間を超えるその代償は、計り知れない。
「マジかよ……。遺跡使わずにやる気か? 今まで成功した奴なんて一人もいないぞ」
遺跡に眠る力を使えば、空間を越えられる可能性がある。
それが、パグの導き出した結論。
逆を言えば遺跡でも使わない限りは絶対的に不可能。
これはもう、確率論とか精神論の問題ではなかった。
「大体、この陣のリスクを分ってるのか!? 賢者でも一瞬の発動だけで、魔力が底を突くんだぞ!!」
パグは、無意識の内に声を荒げていた。
転移陣も、今でこそ短距離なら実用化一歩手前というところまで漕ぎ着けたが、それでも村から村へ渡る程度。
だが、シトアの作り出している陣は、規模が違いすぎた。
その代償など、魔法に疎いパグでも十二分に理解できる。
これはもう、正気の沙汰ではない。
「パグ、零夜叩き起こして満那のとこへ行かせて。テスリカはパグと合流する予定だからそっちへ向かって」
今やその陣は馬車全体へ広がり、一つの球体を形創っていた。
「フッ。それはできねぇ相談だな」
零夜を担ぐと同時に、パグは陣を展開しているシトアを担ぎ上げる。
「パグ! 何してるのよ!!」
「緋色の風は仲間を見捨てない。そう、教えたはずだがな」
どんなにシトアが暴れて抵抗しても、二人の体格差がそれを許さない。
「でも、姫を送らなきゃ。これは、たった一つの可能性なのよ!!」
「……。すっかり痩せたな」
羽の様に軽くなってしまったシトアの重みを感じながら、パグは呟く。
やはり、彼女の病気は進行していた。
「っ………」
シトアは、何も言えず顔を背けたが、すぐにその表情に驚愕が混じる。
「パグ!! アンタ、まさか……」
むせ返りそうになるのを必死に堪え、シトアはパグに眼を移す。
「言うな。これは、俺の罪だ」
「でも――」
それでも尚、何か言おうとした矢先、馬車全体を揺るがす程の衝撃が彼らを襲う。
地割れでも起きたかのようなその衝撃で、三人は壁に叩き付けられた。
「痛っ!! 何が起きたんだよ」
その衝撃で零夜がようやく眼を覚ます。同時に、シトアも展開していた陣を縮小し、高速で何かを唱え始める。
「零夜いいところに起きたな」
状況が飲み込めないという顔の零夜に、パグは、正面を指す。
そこに在ったのは、朱色の傘。
どうやら激突してきたのはこの傘のようだった。
「満那が戦ってんのか?」
「恐らくな。満那の傘を吹き飛ばすって事は、マリオネットか」
馬車に大きく開いた風穴から時折見えるのは、朱色と赤の二筋の閃光。
最早、眼で追うことすら叶わないであろうマリオネットの高速戦闘。
「あれが……、マリオネットの実力?」
「いや、リミッターを一時的に解放したんだろう。満那自身は戦闘タイプじゃない」
かといって、他のタイプにも種別できないがな、とパグは付け足した。
紅の閃光が高速で交わるたびに、鈍い打撃音と肉を切り裂く音が聞こえてくる。
「勝てるのか?」
「負けはしないだろうな。だが、勝てるとも限らない。実力は互角。リミッターを解除しても、だ」
足が震えた。
零夜は、一歩もその場を動く事が出来なかった。
「レベルが、違い過ぎだ」
辛うじて、二人の戦闘を目で追っていることはできたが、追うのが精一杯だった。
成る程、パートナーを見つけろってのはこういう事かと、零夜は一人納得していた。
最早、彼の立ち入る隙など微塵も無かった。
「ははっ……、化け物かよ。マリオネットは」
乾いた笑い声しか出てこなかった。
彼は、怯えていた。
自身の踏み入れようとした領域の広大さに、己の無力さに。
『零夜さんなら、きっとマスターに――』
そう言って笑った満那の顔が脳裏を過ぎる。
「マリオネットって、一体何なんだよ。マスターって、何なんだよ」
何で、笑ってられるんだ?
これから自分がどんな道を歩むのかも分らないのに、何で笑ってたんだよ。
「まだ、分ってないのですか?」
刹那、言葉と同時に、鈍い痛みが零夜を襲う。
零夜の身体は支えを失い、そのまま垂直に落下する。
「零夜さんでしたか? 満那ちゃんのパートナーには貴方では役不足です」
それを片腕で支えていたのは、顔半分を包帯で覆った白髪の女性。
身長は、シトアと同じく小柄だが、身に纏う衣服は赤いワンピース。
「同感」
同時に、鳩尾に痛烈な一撃を受け、パグも倒れこむ。
その一撃を加えたのは、他ならぬシトア自身。
「ごめんなさい、シトア。意外と時間がかかってしまいました」
「さっき戦ってたのはテスリカ?」
シトアは、珍しくローブを脱いでいたテスリカを見やりながら呟く。
髪を束ねずにいるシトアとは違い、テスリカは一本に纏めていた。
「はい。途中まで満那ちゃんが戦っていたのですが、右目の解放寸前まで追い込まれていたので助太刀に入らせていただきました」
テスリカの視線の先には敵と思しきマリオネットが横たわっている。
形状から、自我の無い自動人形タイプの様だ。
「そっ。んじゃ、準備も出来たし、転移陣を発動するとしようかい。あちしを含め、五人全員飛ばすよ」
「ところで、零夜さんは義賊の方ですか?」
眼を細め、威嚇するかのような視線で零夜を見やる。
「見習いらしいね。あちしとしては、義賊は見習いの内から戦闘教育とか仕込みまくって一人前に外界へ出ても大丈夫なくらいにしてからほっぽりだすべきだと思うのだよ。大体、近頃の義賊は盗賊となんら変わりやしない。それに比べ、蒼夜の月光は良かった。何とも珍しい事に自給自足な上に気前が良くてね。一曲歌うだけで色々とくれたものだよ」
いつも以上に早口で捲くし立てるシトア。
その様子を眺めてたテスリカは呆れたようにため息を吐いた。
「シトア、まさかとは思いますけど、日光に当たってないでしょうね?」
シトアの髪を見やりつつ、テスリカは疑問の声を上げる。
「ぎくっ………」
傍目から見ても明らかに動揺しているシトア。
ここまで分りやすい人間もまた珍しい。
「やっぱり……。昨日、『あの子』の反応があったからおかしいと思ってたんですが、やっぱり――」
そこで、テスリカの蒼い瞳が更に細く、深くその色彩を増す。
シトアも何かに気づいたかのように顔を上げる。
「ふふ、ふふふフフフフフフフフフフフフ……………」
唐突に空に、地に、不気味な笑い声が響き渡った。
先ほどの自動人形が発生源という訳ではないらしく、それは完全に機能を停止していた。
だが、シトアは何かに気づいたかのように振り向く。
「っ!!」
刹那、衝撃で倒れそうになる体を支え、何とかシトアは平静を装う。
確認しなくとも、それが何であったかは容易に判別できた。
笑い声はさらに反響し、木霊してその正確な発生源を突き止めることは不可能だった。
「シトア!! 転移陣の強制発動まで最速で何分!? 最高でも二分しか持たないわよ!」
声を荒げたテスリカに怯みながらも、シトアは即座に計算し、最速を見る。
「二分!? あちしを誰だと思ってるの? 九十、いえ六十秒で発動してみせるわ」
「了解! それでは、私はお茶目さんを懲らしめてきましょう。二人を、宜しく頼みましたよ。シトア」
刹那、テスリカの姿が消える。
それを合図に、シトアは『最悪の日』を構え、唱え始める。
「陣、光速展開。転移対象、切鈴 満那・零夜」
「陣、光速展開。転移対象、切鈴 満那・零夜」
シトアと『最悪の日』が輪唱する。
二人の動きはリンクし、シンクロし、対称に動き出す。
テスリカは、それを横目で確認すると、先ほどまで音がいたであろう地点へ到達する。
「さぁ、出てきたらどうです? マリオネット・ローズ」
束の間、声が止む。
どうやら、テスリカの予測は当たった様だ。
「ふふ、珍しい方とお会いしましたね。本当は、傘使いのリバースにお相手を願いたかったのですが」
現れたのは、黒髪のマリオネット。
満那と同じく施設にいた生粋の戦闘用マリオネット。
「少し、お喋りでもしません? この頃は聞き手にばかり回っていたもので」
ちらりと、背後の様子を窺がう。
陣の発動までは短時間だが、問題はその後。
転移が完了するまでの僅かな隙。それは、転移陣が発展しなかった理由でもある、術者が完全に無防備になってしまう、魔の時間の存在。
「あら、私がマリオネット・ローズと知りながらのお誘いですか?」
魔の時間は約二十秒。
既に発動寸前である陣との距離を踏まえれば、あと十秒ほど会話を引き伸ばせば、少なくとも満那が襲われる事は無くなる。
「ええ。噂はかねがね窺がっていますよ」
「まぁ、口だけは達者なようですね」
優雅な物腰で、サーベルを引き抜くローズ。
対するテスリカは、ダガーが一本。
「いえいえ、ローズさんには遠く及びません。声だけで地響きを起こすなんてとてもとても」
「……。貴方って、人の神経を逆撫でするのがお好きなようですね」
テスリカは、ローズを上手く挑発しながら背後を窺がう。
今からの二十秒間が勝負。
満那を無事、中心世界へと送り届けなければならない。
――その為なら、それが、パグとあの人の意志なら、命は惜しくは在りません。
「棘だらけで枯れかけた薔薇を逆撫でするほど、物好きではないですけどね」
――パグ、ごめんなさい。私、一度だけ嘘を吐きました。
「非戦闘用が、何を言っても勝ち目はありません。せめてもの情け。刹那の間に終わらせて差し上げましょう」
ローズは、サーベルの刃をその手首へ当てがい、その刀身を紅く染め上げる。
「私の能力は、フレイム・ブラッド。燃える血液です」
燃え盛るサーベルを片手に、ローズは不敵な笑いを浮かべる。
彼女の能力は、攻防一対。
傷つければ返り血で自身が燃え、自身が傷つけばその血で自分が燃える。
「まさに、打つ手無しですね」
ローズが踏み切る。
己に迫り往く刃を前に、テスリカはどうして自分がこんなことをしているのかを考えてた。
思えば、シトアと出会ったのが人生の分岐点だった。
天才的な空間認識能力と、その器用な指先で紡がれる人形の舞踊。
シトアは、まさに神に愛されて生まれてきた生粋の人形遣い。
不思議だったのは、彼女自身は神様が嫌いで、才能を嫌っていた事。
「私と同じだったからシトアと共鳴した。そのお陰で、パグさんとも出会ったんですよねぇ」
不意に、笑みが零れた。
目の前に炎の刃があるというのに、恐怖は無かった。
あるのは、冷めていく思考と、両手にある感触。
「なっ!?」
ローズの表情に驚愕が浮かぶ。
当たり前だろう。
刀が急に静止すれば誰だって同じ反応を示す。
「言い忘れましたけど、私、曲絃師なんです」
それ故の死線。
死の糸の張り巡らされた陽炎の結界こそが、死線の蜃気楼の正体。
「流石に、血を武器とする貴方相手ではかなり分が悪い勝負ですね。でも――」
火傷した己の右腕を見やりながら呟く。
やはり、本体に触れずに刃だけを止めるのは、かなり無理があった。
「シトアの方も、完了したようですし、結果オーライといきましょう」
血に染まってしまった包帯が落ち、彼女の素顔を晒す。
「……。貴方の勇気に免じて、あの三人は見逃してあげましょう。全く、姉妹揃って命知らずですね」
「ふふ……。ありが…とうござい……ます」
ローズは、サーベルを鞘にしまうと、馬車に唯一残されていた血塗れのナイフを拾う。
最初に気配を気取られた時に、シトアに投擲した物だ。
あれは、確実に致命傷。その上、あの陣の代償を払うとなると、生きている方がおかしいだろう。
あの規模の陣となると、代償は、術者の生命力。
「成る程、何れにしろ代償で命を失うなら、致命傷を受けてもなんら行動に影響はしないという訳ですか」
つくづく、惜しい人を亡くした、とローズは付け足す。
いずれにせよ、他の二人の生死確認も必要だ。シトアも、恐らくは死亡しているだろうが、確認しなければなるまい。
ドサリ
そこまで考えた時、砂袋が落ちるような鈍い音と共に、テスリカが崩れ堕ちた。
「まったく、私が陣に気づいたのを知って、咄嗟に刃ごと私を拘束するなんて、無茶し過ぎですわね」
ザッ
「ローズ様。ただいま到着いたしました」
乾いた音ともに、兵士の集団が到着する。
無論、彼女の要請した医療班だ。
「そこの、重傷の人に救急処置を。処遇は追って報告します」
彼女とて、怪我人を放って置けるほど冷酷な性格ではない。
少なくとも、命を賭してまで守ろうとするのは何なのか、その疑問を解決するという目的もあったが……。
「でも、丁度いい人材が手に入りましたね」
ローズは、不敵な笑みでテスリカを見下ろしていた。
これから来るであろう、時を夢見ながら……
序章<旅たつ者>『完』
次章<魔王と魔導士>へ続く
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