「最悪の日」


 日が上らぬ朝霧の中、パグは馬車を走らせた。

 あと二、三時間で目的の場所に着くはずだ。

「テスリカとシトアのデッド。ミラージュは完璧だな。敵には一切の位置情報を与える事無く索敵する無敵の陣。感服するよ」

 霧に紛れる同胞の魔力を感じつつ、パグは漏らす。

 今頃、テスリカは先行して遺跡に着いている頃だろう。

 問題は、万が一にでも襲撃があり、それから逃げ切れるかどうかだ。

 実際、彼らに戦闘能力があるかと問えば、間違いなくゼロという答えが返ってきただろう。

 それ程までに索敵に特化した一団も珍しいが、それも彼らの目的の為には仕方の無い事だった。

 それに、今の状態なら戦闘を回避したまま無事、目的の遺跡に到着するだろう。

「月の都……。あの場所がそう呼ばれたのがつい昨日のようだな」

「パグおはよっ。珍しいじゃん。パグが愚痴を漏らすなんてさぁ」

 先ほどまで壁に持たれて寝ていたらしいシトアは大きく伸びをすると、凝った肩を解していた。

「お前が座って寝る方が珍しいぞ」

 事実、彼女は持たれると直ぐに肩が凝ってしまう為、就寝時は必ず横になって眠る癖がある。

 だが、彼女はそんなパグの言葉に構う事無く、周囲に眼を走らせる。

「ねぇ、姫は?」

 昨日は満那が一番遅くまで起きていた筈だった。

 シトアは夜の記憶がいつも曖昧な為、詳しい事は思い出せなかったが。

「中にいねぇなら上だろ?」

「でもさぁ、昨日は緋の夜だよ? 全身包帯人間のテスリカでも無い限りは出ないと思うのだよ。実際さ――」

 その先を喋ろうとしたシトアは何かに気づいたように口をつぐんだ。

 彼女にしては珍しい行動だった。

「どうした? ネズミでもかかったか?」

 シトアの様子から襲撃だとしても遠いと判断したパグは、馬車を引く馬を急かす。

 何にしても急ぐに越した事はない。

「いや……、違う。何か違和感がある。今までは気にしてなかったけど、姫の服装って、あちしは前に見たことがある気がするのさ」

 だが、満那の着ている服を他で着ている人物などパグは知らなかった。

 あの服装は戦闘には不向き。

 それどころか足枷以外の何者でもないのだ。

 もし例外があるとすれば、暗器を主に使う暗殺者か、腕自体に何かしらの封印を加える場合のみだ。

 だが、満那は魔道すら使えない。封印してあるにしては強すぎる腕力を持っており、封印具とは考え難かった。
 
「誰だっけなぁ……。地面に着くぐらい異常に長い袖の服を着てる子が居たのだよ。ちなみに、右袖だけ。あ〜ダメだ思い出せないや」

 シトアは暫く頭を抱えていたが、やはり思い出せないようだった。

 だが、これもパグにとっては日常の事。

 以前など自分の名前を忘れた事すらあるのだ。
 
 どうも記憶障害らしいとパグは判断し、その事実をシトアには伝えなかった。

 それは、彼女の見せた特殊な力の所為でもあった。

「とりあえず、それは後でいい。今は、この世界から二人を脱出させる事が重要だ」

「でも、多重世界『ガルファイド』は既に崩壊の一途を辿っててさぁ。他の世界に波及するのは時間の問題だと思うのだよ」

 朝食用の乾パンを頬張りつつもシトアは器用に答える。

「天・空・地の三界からなるのが、この世界。崩壊は少なくとも十年は先だ」

 シトアに反論するパグだが、彼女が常に正論しか言わない事は十二分に承知していた。

 だが、彼女にも見えない未来がある。

 その可能性に、彼は賭けていた。

「十年……。地から崩壊した場合の最も最長の期間だね。でもさ、天から崩壊した場合は、三重に重なり合ったこの世界は、遅くても一年で空が、二年で地が崩壊するのだよ」

 ガルファイドは円を三つに切った形をしており、天から順に重なるようにして存在している。

 天が先に堕ちれば、他も連動するようにして瓦解してしまうだろうことはパグも承知の上だった。

「テスリカのことがあるからあちしはアンタに協力するけど、あちしはアンタみたいに楽観主義じゃないのだよ。常に最悪を想定して動き、最悪を回避する。これが、シトアのやり方であり在り方なのだよ」

 シトアは、既に三つ目となった乾パンを手に講釈するように答える。

 彼女が他人に協力することなど皆無。

 彼女が人と行動を共にする事など奇跡に近かった。

「絶対零度の歌姫っか……」

 不意に、昔聞いたシトアの二つ名を思い出す。

 突如として現れた歌姫シトア。世界中のありとあらゆる名誉を手に出来る力を持ちながら、頑なに人を拒絶する。

 そして、いつしか彼女は絶対零度の歌姫と呼ばれるようになったとパグは風の噂に聞いていた。

 だが、実際に彼女が人間嫌いなのかはパグには計り知れなかった。

 シトアは四つ目の乾パンに手を伸ばしていた。

 食い意地が張っている事と、太らない事だけは確かなようだ。

「ふぇえ、はふ。あふぉどのふふぁいでふふ?(ねぇ、パグ。あとどのくらいで着く?)」

「あと、二時間ちょいだな」

「あふぃふぁほー(あとがとー)」

 いつの間にやらシトア用に積んでいた二週間分の食料袋は痩せ細っていた。

 どうやら、シトアの食欲を読み違えたようだ。

「そいえばさぁ、パグは聞いた? 王が血眼になって何か探してるらしいって噂」

 六つ目のパンを平らげるとようやく満足したのか、袋を放る。

 だが、その袋の形から、満足したから投げたわけではないようだ。

 袋は最初にあった威厳の欠片も聞こえなくなった音で着地した。

「どうも、マリオネットを片っ端から探ってるみたいなんだよねぇ。それも、型番の無い奴。俗に言うクロスって言うタイプ」

 クロス。それは、十字の印を押された型番なしの特殊なマリオネットだ。

 その姿形は人間と何も変わらず、感情はおろか自我さえあるという希少な物だ。

「ん〜。その噂は聞かんな。大体、王族はマリオネットを嫌ってるだろうが」

 パグの知るところに由れば、王族はマリオネットに関して厳しく規制しているらしいと聞く。

「それは建前。実際に、王族の身の回りを世話してるのは皆マリオネット。襲われる心配も無いし、護衛にもなるのだよ。彼らが危惧するのは戦闘用だけ。って言えば、姫もそれに関わってくるけど……」

 シトアが口を濁す。

 彼女の掴んだ満那の情報の一片は、饒舌な彼女の口を出るには大きすぎるようだ。

「もし、それが本当なら、俺等は悪魔か神のどっちかだな」

 パグが苦笑する。

 揺れないように馬車を器用に操りながらも、上に居るであろう満那に思いを巡らせる。

 果たして、自分の判断は正しかったのだろうか。

 満那を廃棄処分から救い、奇遇にも零夜と名乗る男を会わせる事に成功した。

 だが、シトアのもたらした情報で、本当にこれで未来は見えなくなった。

「まさに、世紀の大博打ってとこだな」

「あちしとしては、世界がどうなろうが知ったこっちゃ無いけどね。でも――」

「テスリカの心配なら無用だろ。アイツだってそっちに付かせる」

 パグは、手元に置いておいた乾パンを頬張る。

 シトアの食害を免れた数少ない食料の一つだ。

 彼女は周囲に食物を求めて眼を皿のようにして探している。

「にしても、今朝は妙にお腹減るねぇ。っと、パグはどうすんの?」

 思い出したように付け足すシトア。

 今の彼女の思考は食べ物優先らしい。

「俺か? 俺は兵士じゃないし、テスリカのように特殊な力も無いし、お前のような神速も無い。できるのは、例の伝説の正体を探る事だけだ」

「殺神伝説? あんなもの眉唾物なのだよ。真偽はともかく、千年も前の一族の伝説。仮にいたとしても生きていないさね。ましてや、彼らは短命だしね。今更、調べても埃しか出んと思うのだよ」

 眠っている零夜のパンを一つ奪取し、頬張るシトア。

 彼女曰く、男なら朝食くらい譲るものなのだよ、らしい。

「にしても、姫はお寝坊さんだよねぇ。いつまで寝てるんだろ。零夜は一服盛ったから起きないとしてもねぇ」

「なんなら見てくればいいじゃないか。中に梯子通してあるだろ?」

 シトアの言葉を半分流しつつも、パグはシトアに提案する。

「あちしは、明るいとこがダメ。夜は良いけど昼はサングラスでも掛けんと無理なのだよ」

「そういや、お前が外出した所見たこと無かったな」

「基本的にテスリカに外出は任せてるから。その為にテスリカには持たせて――」

 そこでシトアの視線が固まる。

 パグもその一点を凝視していた。

「おい……、テスリカが持ってるのはまさか、古代武器か?」

 再び、耳を貫く様な音が轟く。

 その度に森はざわめき、鳥たちが飛び立つ。

「古代語で、『銃』っていうらしいね。テスリカでも扱えそうだったから持たせたんだけど、一発だけ信号弾を仕込んどいたんだけど、正解だった」

 未だに空に輝く一筋の閃光。

 それは紅く輝き、ゆっくりと空を滑空していた。

「流石は、死線を跨ぐ者。引き起こすトラブルも尋常じゃなく酷いな。こりゃ、お前らを仲間に引き入れたのは早計だったか」

 そう言いつつもパグは馬を全速力で走らせる。

 同時に後ろで物音がするが、どうやら梯子の穴から満那が落ちてきた様だ。

「どうしたんすか? 何か銃声がしたみたいっすけど?」

 起きたばかりのようで頭を摩りつつ満那は状況を確認する。

「満那!! 丁度良い所に来たな。襲撃だ。お前の良く知る包帯女が襲われてる」

 その言葉に、満那の右袖が揺れる。

「パグ。ちょっと暴れて来て良い? 私、許せないから。テスリカ傷つける人全員――」

「テスリカの護衛最優先。他は適当に散らしとけば良い」

 パグが短く指令を下す。

 シトアの話の手前、満那に先走った行動をさせない為の牽制だった。

「……了解」

 刹那、馬車が大きく揺れる。

 床板にはくっきりと靴跡が残り、衝撃の激しさを物語っている。

 そこには、既に満那の姿は無かった。

「どうするよ、シトア」

「緋の夜だからって油断したね。まさか、死線の蜃気楼を抜ける奴がいるなんて。まったく今日は――」

 シトアにしては珍しく舌打ちをすると、彼女は大きな箱を探り、一対のグローブと人形を取り出す。

 それは、外に出れない彼女専用の武具。

 その名は――



「the worst day.≪最悪の日≫」




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