第一話「彼女のカケラ≪まな≫」



――かい? いいかい? 今からお前に名前をやる。でも、決して人に教えちゃいけないよ

「何で?」

少女は不思議そうに小首を傾げた。

 それに対し、少し困ったような声を上げてから優しく言う。

――もし、貴方が本当にこの人なら信じても良いって思ったら、その名前を伝えな。その名前は、お前自身の心。だから、不用意に人に名乗っちゃいけないし、記憶の奥底にしまって置くんだ

「じゃぁ、私のお名前はどうするの?」

 無邪気な少女の声に、苦笑混じりに答えが返ってきた。

 その人が持ってきたのは、少女には大きすぎる緋色の傘だった。

――これはね。あたしの宝物の一つ。名前を「切鈴せつれい」と言うんだ

「せつれい?」

 幼い声がその名前をリピートする。

 それを微笑ましく見つめると、傘を少女に渡した。

 傘は、嘘みたいに軽く、まるで羽を持っているように少女の手に馴染んだ。

――それは、この世で最強を誇る金属の一つ、ヒヒイロカネをあたしが自分なりに改良したもので出来てる。その傘の名前を貴方にアゲル。貴方は、切鈴の満那、切鈴 満那。分った?

「うん!」

 余程、名前を貰った事が嬉しいのか、はたまた思わぬプレゼントに興奮していたのか、少女はいつまでも飛び跳ねていた。

――二度と、貴方をリバース・クロスなんて呼ばせない。その為なら、切鈴だって渡す。それが、少しでも貴方の足枷になるなら。

 少女は無邪気に傘と戯れている。

 若干八歳にして、リバース・クロスと蔑まれた彼女の力は、十二分に分っている。

 痛いほどに分っていた。

 少女の右目に残る、一生癒えることの無い、痛々しいまでの致命傷。

 それでも尚、無邪気な笑顔を見せてくれる。
 
「どうしたの?」

 いつのまにか少女は目の前におり、自分の顔を覗き込んでいた。

 心配そうに見上げるのは愛おしい愛娘、満那。

「元気無いの? じゃぁ、おまじない唱えてあげる」

――いっちょ前にお呪いか。魔術も魔法も使えない癖に。

「ぶぅ〜。大丈夫だもん。成功するっす」

 興奮すると語尾に〜っすを付ける癖は、やっぱり受け継いでいた。

 とすると、このおまじないも受け売りなのかもしれない。

 私は、自分の手を包み込む愛らしい手を見ながら、頬に一滴の筋ができるのを感じた。

「ハレハレルヤ。気分も天気もきっとハレハレルヤ」

 満那。

 満那。

 マナ。

 まな。

 愛おしい私の娘。

 世界を敵にしても、貴方だけは守り抜く。

 絶対に

 何が在ろうとも、私は貴方を死なせはしない。

 その為なら

 時も、世界も、王も

 私の敵

 なのに

 世界を敵に回しても生き残れる、勝てる自信はある。

 なのに

 神様は残酷だ。

――何で、この子なのよ。何で? 何でよ……。

 何で、この子が死ななくちゃいけないの?

 世界がソウナッテイルカラ?

 カミサマノセイ?

 ナラ、世界をコワセバ、マナはスクエルノ?

――ねぇ、永遠の歌姫、シトア。貴方なら、どうする?

 貴方でも、答えは出せないでしょうね。

 幾千の時を知る貴方でさえ、満那を救うことは出来ない。

 絶対矛盾。

 ふと、そんな言葉が過ぎる。

 同時に、理論式と術式、陣までもが脳内に展開される。

 一切の矛盾も、破綻も、神さえも排した完全無欠の魔陣。

 目の前に構築されていく究極なる魔法陣。

 これを使えば、あるいは……。

――ばっかみたい。そんな事したら、世界中の時が歪んじゃうわ。

 そこで馬鹿馬鹿しい妄想を打ち切る。

 今、私がやるべきことはただ一つ。

 目の前に居る愛くるしい少女に、両手で抱えきれないくらい、数え切れないほどの幸せと想い出をあげる事。

「ねぇねぇ見てみて」

 少女が私を呼ぶ。

 積み木で新しい形を作ったみたい。

――はいはい。今行きますよ。

 願わくば、この幸せが彼女と永久にありますように……。

 そして、滅多に信じたことの無い神様に祈る。

「早くぅ〜」

 願わくば、奇跡が起こりますように。

 彼女を縛る鎖を断ち切る人が、現れてくれますように。

 彼女が、その重圧に潰されない事を。


「早く来てよぉ〜、れいぃ〜」

 呂律が回っていない愛くるしい唇が私を呼ぶ。

 そうだ。

 今は、彼女を精一杯愛そう。

 私の存在がゼロになるまでの、ほんの少しの間だけ。




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